Jリーグ入りを消滅させたサッカークラブ、FC秋田カンビアーレの今

まだ、J3というカテゴリーが無かった時代に、Jリーグに参画できる手段として、JFLというカテゴリーで上位でシーズンを終えたうえでJ2のライセンスを取得したチームのみJ2への参加が認められていました。 この壁に多くのサッカークラブが阻まれてJリーグへの道が閉ざされました。

サッカークラブが上位のカテゴリーへ進むための、一番の関門といえるのが、JFL加入のところです。 カテゴリーは県単位、地方単位で1部と2部があります。 地方1部リーグのサッカークラブが全国大会に出場し決勝に出れなければJFLに加入できません。 成功例は最近ではツェーゲン金沢などで、J2で活躍しています。

しかしFC秋田カンビアーレはJFL昇格ができずにJ2への道が消滅してしまいました。 秋田県内でJリーグのチームがあります。ブラウブリッツ秋田で、現在J3に位置しています。 FC秋田カンビアーレはブラウブリッツ秋田と提携したことによって、あくまでアマチュアチームとして存在することとなりました。

Jリーグに加盟申請したサッカークラブ「アルテ高崎」は消滅していた

アルテ高崎とは、群馬県高崎市を本拠地にしていたサッカークラブで、1996年に母体が創設されました。 社会人サッカークラブとして知られており、2011年に惜しまれながらも解散しています。 1996年当時は、「マッキーFC」として創設され、FCホリコシとして2000年に再結成されています。

その年の社会人リーグ2部では全勝し、1部に昇格しており、翌年も全勝優勝を果たし、関東サッカーリーグに昇格しています。 2004年からは、JFLに昇格し、同年の天皇杯では、Jリーグに所属している柏レイソルを破った偉業を成し遂げています。 2005年にJリーグの加盟を目指しましたが、条件面で折り合いがつかず、2006年度に参入方針を固めているも、Jリーグから参入見送り通知を受け、参加できませんでした。

その後、2006年にアルテ高崎として再スタートを切るも、成績不振が続き低迷、2011年に当面の間、チームの活動を休止するという事実上の消滅となっています。 今後、再開の予定は未定としていますが、規定の問題で、上位リーグへの昇格は厳しいと言われています。